イタリアより

滞在日記

カステル・デル・モンテへの行き方/タクシー編

この日も何組かのグループが見学に訪れていました

2022.12.18撮影

バーリからカステル・デル・モンテに行くには、二通りの方法があります。一つはシンプルにタクシーを利用する、今一つは電車とバスを乗り継いでいく、あっもう一つありました。レンタルした車で向かう。消去法で行けば、わたしの場合、タクシー一択でした。というのも、レタンカーは除外するとして、「電車とバスを乗り継いでいく」には、最寄り駅になる「アンドリア」から出るバスは冬季は運行していないのです。。。出費はかさむけれど、ここは覚悟を決めて、先ずは出発するひと月前に、現地のハイヤーを手配する代行業者へ料金を問い合わせました。

そういえばバイクでやって来る人も…

2022.12.18撮影

ある業者は、バーリの滞在先ホテルから往復「240ユーロ」、もう一つの業者は「270ユーロ」だと回答がありました。前者は、原油高の為にもう少し値が上がるかも知れないと追記があり、後者では「270ユーロ固定」だと、いずれも親切な応対でした。

一方ホテルに聞いたタクシー料金は、前述通り、お城の見学時間を1時間待機する条件で往復「130ユーロ」。親切な運転手さんだったので、10ユーロを足して140ユーロを支払いましたが、一人でお城まで行って帰るだけならタクシーで十分でした。(復路に近辺の町、例えば「アンドリア」や「トラーニ」で降ろしてもらっても同料金とのこと)なお、タクシーは、お城の入口前まで行き、待機してくれていました。

上記は私が乗せて貰って来たタクシー

2022.12.18

ただし、複数人で上質のサービスも受け、より快適なドライブを、とするならハイヤーがいいのかも知れません。きっと黒塗りのベンツで乗り心地もすこぶるいいのだろうと思います。なお、老婆心ながらこんな折、女性一人がタクシーに乗るならば、履歴が残るようにホテルに手配を依頼するのがわずかながらでも安心。ちなみにタクシーは、駅前に停まっているのと同じフツーのタクシーです。(タクシー料金は2022年12月18日現在)

次頁は「電車とバスを乗り継いで行く」ですが、調べた結果はうーん…実際にこの方法で行くとしたならば、①バスを追いかける…②おいて行かれる…③立ち尽くす…三択です。さてどれになるでしょう?

世界遺産「カステル・デル・モンテ」その3.

1876年国の管理下に置かれ

その3年後から修復工事がスタートした

修復以前のカステル・デル・モンテ

綺麗になって

今は「白亜のお城」と言われるけれど

劣化は年々進んでいるとか…

公式サイトより

ところで、フェデリーコ二世には、正妻に愛人を交えたその子供たちが沢山誕生しています。中でもフェデリーコの実母と同名の妻コスタンツァとの間にもうけた、これもフェデリーコの実父「ハインリッヒ6世」の名を命名した長男、ハインリッヒ7世に掛ける期待は大きなものでした。

唯一この三連窓から

フェデリーコが生きた時代に栄えた町

アンドリアが望める

公式サイトより

自身がそうであったように、この長男もいかなる困難をも乗り越えて、独立独歩で事を成し遂げていくと、フェデリーコは考えていました。ところが父親の期待が大きければ大きい程、あるいは父親が偉大であればある程息子は萎縮していき、その圧力から逃れようともがく…現代にも通じそうな親子の構図ですが、いかんせん、ヨーロッパの中世においてはその関係がこじれると互いの命取りになります。

目を潰され移送される途上

谷底に馬もろとも身を投げるハインリッヒ

左は父親のフェデリーコ

ウキペディアより

ハインリッヒは、その凡庸さにつけこまれたか、フェデリーコに反感を抱いていた諸侯と共に父親に反旗を翻し、ついには命を落としてしまうのです。それは果敢に戦った上でのことではなく、反逆罪で捕えられ、隔離生活を送る中で自死という誠に不名誉な形で終わりを告げました。父フェデリーコ47歳、息子ハインリッヒ31歳。1242年のことでした。

2022.12.18撮影

サンゴ色の石灰質角礫岩(かくれきがん)で覆われていたらしい

壁や柱がかろうじて残る内部

ちなみに

日本の国家にも歌われる「さざれ石」は

学名を「石灰質角礫岩」というらしい

ちょうどこの頃には、カステル・デル・モンテは完成していたのだろうと思います。何事も効率よく、不屈の精神で一切の無駄を排除するフェデリーコの思考回路も、さすがに長男の自殺はこたえたのではないかと、親子の悲運に思いを馳せるのですが、陳腐な表現ながら、もう少し時代がゆるやかに過ぎていたならば、このデルモンテ城で、フェデリーコ親子たちがそれこそ鷹狩を楽しむ光景が見られたのかも知れません。

帰路

幾度も幾度も振り返って仰ぎ見たデルモンテ

2023.12.18撮影

それにしても、フェデリーコの死後数年で次々後継者が亡くなっていき、20年にも満たないのちには、彼の孫になる幼い三人の皇子たちが、このデルモンテ城に30年以上も幽閉され、悲惨な最期を遂げることになるなんて。。。

★みたびの妄想ストーリー↓

フェデ

して、kazu殿、我が後継者、ハインリッヒの件は慙愧の念に堪えぬが、エンツォやコンラッド、おーそうじゃ鷹狩が得意であったマンフレディと我が孫たちはいかような人生を送ったであろうか。

kazu

あのね、フェデさん、実はね…いえ何でもない…皆さん立派にシチリア王国を盛り立てて、長生きをされました…又いつかデルモンテ城へお邪魔した時は、お城の秘密など、こっそり教えて下さい…

フェデ

ふむ…kazu殿、承知した。約束いたそうぞ!

世界遺産「カステル・デル・モンテ」その2.

デルモンテ城全景

Googlemapより

このデルモンテ城が何のために作られたのか今も解明されないままですが、フェデリーコ二世が各地に作ったお城と比較しても、軍事目的ではなかったらしいことは素人目にも分かります。平地に全く以て無防備に立っていてお堀もないし、攻めて来る敵方を迎え撃つための仕掛けさえもない…

左回りの狭いらせん階段だって後世の議論の的

『これでは右手に剣を持って攻め昇る敵方に有利ではないか』

故に…城は軍事目的で建てられてはいない~カンカンガクガク

2022.12.18撮影

中に入って分かったことですが、小さな窓は、確かに日本のお城の造りで言えば「狭間(さま)」だ、と言えなくはないけれど、内側が広く外に向けて小さく角錐状になっている隙間は空間が無さすぎて、せいぜい明り取りの役目をするくらいのものでした。

角錐状に切り取られた窓…「狭間」?

ここで弓矢を弾いても目標が定まらん…

2022.12.18撮影

否、もしもこのお城が要塞目的で建設されたとするならば…あのフェデリーコ二世のこと、きっとトラップを張り巡らせて、例えばカナダの映画「キューブ」のように、この八角形の立方体に一歩足を踏み入れたら最後、無事には脱出できないように仕上げる…

等と、しようもない妄想に掻き立てられながらも、ふと先年訪ねたパルマトレッキアーラ城を思い出しました。同じような丘の上にポツンと立つ孤城でも、トレッキアーラ城は城主とその愛人が過ごす居城でした。城内には、厩(うまや)をはじめ立派なキッチンもあって、二人の為に立ち働く多くの雇人も居た…何といってもお城全体に穏やかな生活感がありました。

❛物置として使われていた様に見える、(壁の一部を引っ込ませて作った)

長方形のサンゴ色をした石灰質角礫岩(かくれきがん)の棚を備えた大きな暖炉の遺跡❜

-現地の案内板より(kazu意訳)-

2022.12.18撮影

けれど、デルモンテ城にはトイレとお風呂、水槽や暖房施設は備わっていたようでしたが、どこかよそよそしくて、お城の外観もまるでこのままキュルキュル空を飛んで、宇宙へ行ってしまいそうな風情です。城を成すあらゆる形状や印象物が数字の「8」で埋め尽くされている…というのも訳わからん…

中心部に排水溝を備える

中庭だって勿論八角

2022.12.18撮影

★妄想ストーリー↓

kazu

フェデさん、デルモンテ城は聞きしに勝る見事な八角形で驚きました。フェデさんが学問や芸術のみならず、科学や地理や天文学やその他諸々に秀でていて博識の王様だとは聞いていますが、他に類を見ないシンプルで、それでいて威容ある立ち姿のお城…よくこんなのを立てられましたね。。。

フェデリーコ

kazu殿に分かってもらえるのは嬉しいが、何も私が自分で大工道具をかついでセコセコ築いたのではない。祖父の時代、いやそれ以前から、この国にはアラブ人やギリシャ人の誠に優秀な者たちが居て、建築学者、地理学者、天文学や数学者、占星学にも詳しい、それも世界屈指の知識と高い専門性を持つ研究者や学者たちが、わたしが、こうしたい、あーもしたいと言うと、皆競ってプレゼンをしてくれたのだ。エルサレムで見たあの「岩のドーム」も忘れかねてな…まっそんな訳で、各分野の者たちの知恵と技術の結晶ともいうべきか。ちとやり過ぎた感もあるが…

kazu

ですよねぇ…フェデさんが鷹狩が趣味だと言うのでその為のお城だとか、あっちにもこっちにも「8」の数字にちなんだ不思議があるので、それを探せ~やら、春夏秋冬に陰る太陽の傾斜の様子や更にはらせん階段の右回り・左回りに言及するやら、お城を巡ってそれはもう侃々諤々(カンカンがくがく)の議論になってます。ちょっと人騒がせかと…

フェデリーコ

おーkazu殿の世では、そのような伝承になっておるのか~愉快であるぞ♪ほふほふほふっ

-続く-

世界遺産「カステル・デル・モンテ」その1.

小高い丘の上にぽつんと立つ

世界遺産カステル・デル・モンテ

2022.12.18撮影

2019年に訪ねたシチリア島。その州都になるパレルモでは、ノルマン・シチリア王国の絢爛豪華な王宮や聖堂に息を飲みましたが、この王国の創設者ルッジェーロ二世が初代シチリア王として冠を頂き、強大な君主への道を歩み始めてから半世紀余りの後、彼の孫になる上記デルモンテ城を建設したフェデリーコ二世が誕生します。

そもそもノルマン・シチリア王国とは何ぞや?からの話になりますが、詳しくは歴史書を紐解くこととして、簡単に言えば「ノルマン人が打ち立てたシチリア王国」…

キリストから王冠を受けるルッジェーロ二世

マルトラーナ教会にて

2019.12.26撮影

本来なら時の教皇アナクレトゥスから戴冠される図が描かれて然るべきなのに

教皇を飛び越えてイエス・キリストから直接に…

さすがフェデリーコのおじいさん

時は11世紀初頭、人口が爆発的に増えたフランスのノルマンディ地方の若者たちは、長男であれば家督を継ぐことが出来るし、次男であれば裕福な家の養子にでも行けば食べるに事欠かないけれど、三男、四男…ともなれば海外に活路を見出すしかなく、やがて彼らは一攫千金を夢見て、南イタリアで傭兵(ようへい)として働くことになっていきます。

当時の南イタリアでは、諸勢力が覇権を競い、あちこちで小競り合いを繰り返していたし、イスラム教徒の襲撃にも備えねばならないから各地で優秀な傭兵を必要としていたのです。そんな背景もあって多くのノルマン人が故郷を後にして南イタリアを目指しますが、彼らの中には戦略に秀でて武力にも優れた者たちが頭角を現して活躍し、その功績に領地が与えられるようにもなりました。

ノルマン王宮の「ルッジェーロの間」に描かれた

煌びやかな「クジャクと豹」のモザイク画

南国の木々が印象的でした

今更ですが…

2019.12.26撮影

こうなると、一介の傭兵に過ぎないノルマン人が力を蓄えて有力君主に成りあがるのも当然の流れで、その筆頭がルッジェーロ2世の父でした。活字にすると数行の偉業ですが、教皇庁はじめ周辺の覇権を確立しようとする勢力やイスラム教徒とも相まみれ、共に故郷を旅立った兄弟の争いごとにも巻き込まれながらの、それは熾烈を極めた戦いの末でのことでした。ルッジェーロ二世は、この父親の後を継ぎ、念願のシチリア王になりますが、パレルモの大聖堂で執り行われた一連の儀式は、豪華な衣装を身にまとったローマ・カトリックのみならずギリシャ正教の高位聖職者たちがずらりと並び、群衆が歓声を上げる中、それはそれは厳粛かつ壮大なものであったとか。

デルモンテ城の資料室に描かれているフェデリーコ2世

なんかねぇ

彼の頭上にある王冠そのものがデルモンテ城…

そんなルッジェーロ2世の血を引くフェデリーコ2世…ここからは妄想ストーリーです。

kazu:フェデさん、初めまして

フェデ:おーkazu殿、祖父から聞いておる。先年はパレルモに行かれたとか

kazu:はい。もう凄い豪華な王宮ですね。キンキラキンで目がパチクリしました

フェデ:私の趣味ではないのだが。。。

kazu:けれど大聖堂で奥さんと永遠(とわ)にご一緒に居られて良かったと思います

フェデ:ふむ。私の棺にも手を合わせてくれたとか…かたじけない

-続く-

バーリ中央駅北口から南口への移動

道端で繰り広げられた

圧巻のパフォーマンス

バーリ/ スパラノ・ダ・バーリ通りにて

2022.12.17撮影

あれ程考え悩んだにも関わらず、まるで何かに導びかれたかのような結末でしたが、夜間にバーリ中央駅北口から南口へ移動するときの注意点を少しだけ。それは、エスカレーター(多分)もエレベーター(表示があった)も作動しているのは午前0時まで…表示のあったエレベーターに限って言えば、利用できる時間帯は「午前4時~深夜12時まで」という点です。恐らく、階段と並行に設置されているエスカレーターもこれに準じていると思われます。

地下通路に降りて行く階段の少し後方に設置されているエレベーター

時々注意して見ていると、エスカレーターはメンテナンスのためか不具合か、朝の9時過ぎに止まっていたことがあって、自転車を抱えた人や大きな荷物を持った旅行者が階段を降りて行く姿を目撃しました。本来動いているはずの時間帯であっても、突発的にこうして利用できなくなる可能性もある…。

エレベーターが利用できる時間帯の表示

帰国時の朝、駅の北側にあるシャトルバスの乗り場に向かうのに上記のことを再び案じてタクシーを呼びましたが、か弱い女性(私のことですよー)の個人旅行に於いて、エレベーターやエスカレーターの有る無しは、ホテルはもとより、駅でも同様に「快適な旅」をするためのチェックポイントだと改めて痛感した次第です。                                                ※南口のプラットホーム中央付近にも、奥まっていて少し気付きにくいですが、エレベーターがあります。どのホームにもエレベーターが設置されていて、地下通路からアクセス出来ます。

余談

バーリ中央駅は、イタリア語版ウキペディアによると、2000年代から地下通路やそれに付随するエレベーター&エスカレータの新設など、1200万ユーロの予算で近代化をしてきたのだそうで、この計画の完了予定が2020年というから、まさしくバーリ訪問の直前のことのようでした。午前0時を過ぎていても、この地下通路を利用する地元の人たちは結構居て、行政の思惑通り、ムラート地区(海辺や旧市街を含む北側)から南方面までを統合する人の流れは今後もより活性化し、更には駅の南側の再開発にも拍車がかかることだろうと思います。ちなみに、私が滞在していた間、この地下通路には何人ものお巡りさんや警備の人が居て、とても安心でした。

バーリ中央駅の北口と南口を結ぶ地下通路入口

右側のピンク色の建物は「ケンタッキーフライドチキン」のお店

バーリの救世主その5.

鼻先を突き合わせて

ちょっとローマまで~♪

飛び乗りそうになりました^^

バーリ中央駅に止まっていた

「ETR600/フレッチャルジェント (Frecciargento)」

2022.12.21撮影

シャトルバスの運転手さんが教えてくれたバーリ駅の隅っこにある地下通路へと行きましたが、あ~やっぱりなぁ…案じた通り、階段と並行して設置されているエスカレーターは止まっていて、歩いて降りるしかありません。降りれば、当然上がらなければならないし、スーツケースに目を落としながら暗澹たる気持ちでした。しかし、ここはもう腹をくくって…ヨイショ#

バーリ中央駅にて

↑ この階段を降りて上がって…

横にはエスカレターがあるけれど

動いていなかった"(-""-)"

懸念事項がものの見事に的中したことに苦笑もしながら、大きなスーツケースを持って一段足を下ろした時、突然背後から一人の男性がこのスーツケースを抱えて下まで運び、更には地下通路を進んで上へ続く階段へも一気に駆け上がってくれたではありませんか。あれよあれよという間のことでした。

飛行機の搭乗時、計量したスーツケースの重さは15キロ。見た目ほど重量はないものの、それでも15キロのお米を担いで~となれば、私には相当な負担です。もう恐縮しながら、彼の後ろを小走りに付いて行くことになりましたが、どんなに有難かったかしれません。

バーリ中央駅地下通路

この通路もどんどん進んで…

あのまま❛お米❜を担いで一人で階段の上り下りをしていれば、腰なり肩なりどこかをきっと痛めていたに違いないのです。まるで、米つきバッタのごとく、ここでも、頭を幾度もさげてお礼をいいましたが、階段を上り切るとその彼は「Buon viaggio」(良い旅行を!)と言ってスーツケースを私に渡し、帰宅するらしい足取りで去って行きました。

イタリアに到着して早々、こうして沢山の親切を受けた訳ですが、奇しくもバーリはサンタ・クロースの眠る町。もしや、あの三人の方たちは、聖ニコラが、見るに見かねて私に使わされた「救世主」…それほど心身ともに助けられ、救われた出来事でした。(バーリの救世主・完)

※次頁では駅の北口から南口へ行く時の注意事項を…

余談

バーリ到着翌日に訪れた

壮大な外観を持つ

プーリア・ロマネスク建築の「サン・ニコラ聖堂」

2022.12.17撮影

結婚式が行われていた為に、内部をゆっくりと見学できませんでしたが、この場所こそが、あのサンタ・クロースのモデルとなった「聖ニコラ」が祀られている教会です。トルコ生まれであるために像のお顔はアジア系の褐色を帯びていますが、当地の人たちからはとても愛された実在の司教です。

古くは4世紀の話なのでどこまでが真実なのか、今も様々な論争が続いていますが、ニコラはキリスト教の信者にとっては最も尊敬に値する聖人であり、死後の人気も不動であった為、なんとイタリア人(商人とも船乗りともいわれる)が、彼の遺骸を生地から持ち帰ってきたのだそう…事の真偽はともかく、現在もこの教会は世界中から巡礼者が訪れる聖地になっています。

左:教会内入口近くにある聖ニコラ像

右:教会の斜め前に立つニコラの銅像

共に 2022.12.17撮影

右側、左手に持つ聖書の上に球(当時のお金)が乗っていますが これがサンタ・クロースの贈り物

貧しい貴族の3人姉妹を救うため、聖ニコラはこの家の窓から贈り物の金貨を投げ入れたとされる

バーリの救世主その4.

アルド・モーロ広場の噴水

2022.12.25撮影

女性一人のイタリア旅行で頭を悩ますのは、いつだって宿泊先のホテル選びです。中心地や旧市街を連泊して散策するのであれば、迷いなくその周辺のホテルに決めるのですが、今回はバーリを拠点に各地の町巡りを予定しています。幾日も日帰りの列車移動が続く…そのために駅近くに宿泊するのは当然の選択だったのですが、大都市にも関わらず、「駅から徒歩数分」&「ホテルの安心度」という私個人の尺度に見合うホテルは一か所しかなく即決でした。

バーリ(南口)駅前にある

Hotel Excelsior Bari」入口

2022.12.17撮影

このホテルへの評価はともかくも、駅に近い、という一点においては他のホテルの追随を許さない、駅を出てから徒歩1分、まさしく駅の目の前でした。

が、不安要素も一つあって、それが前述した❛事情❜でした。というのも、このホテルは、シャトルバスが発着するバーリ駅北口/アルド・モーロ広場とは反対側のエリアに位置します。その為に、大きな荷物を携えて、深夜に到着した駅の北口から南口への移動がスムースに出来るのか、きっと駅構内を❛横断❜させてもらう、ということになるとは思うものの、エスカレーターやエレベーターは利用できるのか、そもそも駅舎はこの時間帯に開いているのか等々、これらへの危惧が最後までぬぐえませんでした。

ホテルの窓から見える「バーリ中央駅」

徒歩1分

結果、夜遅い到着に加えこの❛事情❜を加味し、いや回避しようと空港からホテルまでタクシーに乗る、という思惑だった訳ですが…。

余談

ジュゼッペ・カプルッツィ通り

2022.12.17撮影

バーリ中央駅南口がある大通り「ジュゼッペ・カプルッツィ通り」(Via Giuseppe Capruzzi)の界隈は、見るからに閉店したと思われる店があって、一見すたれた雰囲気が漂っていましたが、歩いてみるとスーパー(「supermecat dok」・「supermecat SISA」)や携帯ショップ(wind tre)をはじめ、夜8時あたりから営業するバールが点在していて、朝と夜とではちょっと風情が変わります。今回、アルベロベッロとマテーラは一度訪れているので端折りましたが、これら各地に行くバスもこの通りから発着するため、バーリを拠点に各地へ日帰り旅行するなら、意外に穴場のエリアかもしれません。バーリ中央駅はプーリア州のハブ駅。北口とは打って変わって南口の駅の斬新さをみると、これからまだまだ開発されていく地域なのだろうと思います。

オープンしたばかりの「binario」

2022年にオープンした「binario」は、駅南口を出たすぐ横にあるカフェです。ガラス張りの明るいお店で、店内もとても綺麗です。モーニングやちょっとした軽食も取れます。ここで時々お水を買っていましたが、さすがにお水はスーパーで買うのが断然安い。

 

-続く-