
カターニアのシンボルである「象」
Fontana dell`Elefante(像の噴水)にて
2019年に撮影
ことの起こりは、1889年のことでした。当時イタリアは、植民地獲得を目指しアフリカのエチオピアへ進出し、皇帝メネリク2世と条約を締結します。世界史にも登場する「ウッチャリ条約」です。
妄想ストリー④
★エチオピア皇帝:
この度は、私をお認め頂き有難し。ついては両国の友好の為、象を贈りたい。
★イタリア国王:
お~それは何とも恐縮です。国民はさぞかし喜ぶことでしょう。Grazie!
★国王の臣下:
王様…象は、一体どうやって飼うのでしょう。
★イタリア国王
うむ……それは後で考えよう。
そうだっ!象をマスコットにしているカターニアなら喜ぶに違いない。

「リオトル」と呼ばれ
「象」はカターニアの人たちのマスコット
こんな経緯で、一頭の小象がカターニアにやって来ました。元々「象」は、町の人たちのマスコット。「メネリク」と名付けられた小象は、一躍町の人気者になったに違いありません。が、彼らは余りにも象を知らなさ過ぎました。

ベッリーニ庭園に象が居た…
Menelik nella foto di Francesco Marenzi.
(フランチェスコ・マレンツィ撮影のメネリク)
「.IT CANIA」より
メネリクは、飼育用の檻が完成するまでベッリーニ庭園の囲いに入れられていましたが、その後、用意された檻の環境は、象にとって劣悪なものでした。後世に分かったことですが、湿気の多い暗い場所で、健康にはそぐわない草が与えられていたのです。
それでなくても、母親や兄弟姉妹たちから離され、遠く離れた異国の地に連れて来られた幼い象は、どんなに強いストレスにさらされていたことか。寒さと飢えの中、やがて半年も経たず、死んでしまいました。それから70年余りの時を経て、彼らは再び同じ轍を踏むのです。
-続く-