
19世紀末、貴族の庭園から市民の公園へと
移り変わる時代に建てられたガゼボ。
当時流行の装飾様式だったのでしょう
2025.12.21撮影
妄想ストーリー⑥
カターニア市議会
★管理部門1.
花壇が維持できない。人手が足りないし、費用も捻出できない。
★管理部門2.
こっちもだ。手入れされないから、植物はまるで森へ帰っていくようだ。
★動物管理者
鳥たちも消えたよ。白鳥や猿や、そして象も…もう戻らないだろう。
★行政担当
こんなに予算が削られてしまっては、優先順位さえも決められない。。。etc
20世紀に入ると、計上されていた予算が次第に削られ、庭園の維持管理が難しくなっていきます。手入れされない花壇は荒れ果て、周辺に植えられた植物も四方八方に伸び放題。動物たちもやがて消えて行きました。

ストレリチア(ゴクラクチョウ花)
南アフリカからやって来たこの植物が、
遠く離れたシチリアの地で見事に適応している
ベッリーニ庭園にて
2025.12.21撮影
そもそも、元の貴族の庭園を買い取り、市民が憩える公園として生まれ変わらせるはずでした。当時の衆知を集め、ビスカリ侯爵の迷路の庭園と買収したサン・サルヴァトーレの土地とを統合し、階段や小さな橋、並木道などを上手く利用して、現在の庭園の形を造り上げました。が、時代が変わっても、理想は維持し続けなければ形を失う…

ニンフの泉
2025.12.21撮影
折しも、イタリアではそれまでの高度成長が終焉を迎えます。当時の通貨だったリラは暴落し、不況でありながら同時にインフレに喘いだ時代…そんな不安定だった歴史的背景が、ここ地方都市にも及んでいたのでしょう。
そうして21世紀を迎えても、状況が劇的に変わったわけではありませんでした。2001年、イタリア経済は統計上はプラス成長を記録していましたが、若者の失業率は依然として高く、地方都市の疲弊はそう簡単にぬぐえなかったです。

庭園の「救世主の丘」に立っていた
中国からの贈り物である木製のパビリオン
Live UniCTより
そんな時代の空気の中で、十分な手入れもされないまま放置されていたベッリーニ庭園の北側「救世主の丘」に建っていた中国パビリオンは、2001年の夏の夜、火災によって一晩であとかたもなく消失してしまいました。

庭園北側、エトネア通りとトマセッリ通りを見下ろす
小高い丘の頂に、その中国館は建っていた
Live UniCTより当時の写真
2025年12月21日、この丘に上がってみましたが
何もない、小さな荒れ地でした
このパビリオンは、中国の皇帝からの贈り物で、市民の図書館の役割も果たしていましたが、火事の原因は分からずじまい。放火の可能性が指摘されてはいますが、この事件は、単なる建物の消失というより、時代の疲労がにじみ出た出来事だったのかもしれません。庭園の中には、こうして静かに消えていったものもあるのです。
-続く-