イタリアより

滞在日記

世界遺産「カステル・デル・モンテ」その3.

1876年国の管理下に置かれ

その3年後から修復工事がスタートした

修復以前のカステル・デル・モンテ

綺麗になって

今は「白亜のお城」と言われるけれど

劣化は年々進んでいるとか…

公式サイトより

ところで、フェデリーコ二世には、正妻に愛人を交えたその子供たちが沢山誕生しています。中でもフェデリーコの実母と同名の妻コスタンツァとの間にもうけた、これもフェデリーコの実父「ハインリッヒ6世」の名を命名した長男、ハインリッヒ7世に掛ける期待は大きなものでした。

唯一この三連窓から

フェデリーコが生きた時代に栄えた町

アンドリアが望める

公式サイトより

自身がそうであったように、この長男もいかなる困難をも乗り越えて、独立独歩で事を成し遂げていくと、フェデリーコは考えていました。ところが父親の期待が大きければ大きい程、あるいは父親が偉大であればある程息子は萎縮していき、その圧力から逃れようともがく…現代にも通じそうな親子の構図ですが、いかんせん、ヨーロッパの中世においてはその関係がこじれると互いの命取りになります。

目を潰され移送される途上

谷底に馬もろとも身を投げるハインリッヒ

左は父親のフェデリーコ

ウキペディアより

ハインリッヒは、その凡庸さにつけこまれたか、フェデリーコに反感を抱いていた諸侯と共に父親に反旗を翻し、ついには命を落としてしまうのです。それは果敢に戦った上でのことではなく、反逆罪で捕えられ、隔離生活を送る中で自死という誠に不名誉な形で終わりを告げました。父フェデリーコ47歳、息子ハインリッヒ31歳。1242年のことでした。

2022.12.18撮影

サンゴ色の石灰質角礫岩(かくれきがん)で覆われていたらしい

壁や柱がかろうじて残る内部

ちなみに

日本の国家にも歌われる「さざれ石」は

学名を「石灰質角礫岩」というらしい

ちょうどこの頃には、カステル・デル・モンテは完成していたのだろうと思います。何事も効率よく、不屈の精神で一切の無駄を排除するフェデリーコの思考回路も、さすがに長男の自殺はこたえたのではないかと、親子の悲運に思いを馳せるのですが、陳腐な表現ながら、もう少し時代がゆるやかに過ぎていたならば、このデルモンテ城で、フェデリーコ親子たちがそれこそ鷹狩を楽しむ光景が見られたのかも知れません。

帰路

幾度も幾度も振り返って仰ぎ見たデルモンテ

2023.12.18撮影

それにしても、フェデリーコの死後数年で次々後継者が亡くなっていき、20年にも満たないのちには、彼の孫になる幼い三人の皇子たちが、このデルモンテ城に30年以上も幽閉され、悲惨な最期を遂げることになるなんて。。。

★みたびの妄想ストーリー↓

フェデ

して、kazu殿、我が後継者、ハインリッヒの件は慙愧の念に堪えぬが、エンツォやコンラッド、おーそうじゃ鷹狩が得意であったマンフレディと我が孫たちはいかような人生を送ったであろうか。

kazu

あのね、フェデさん、実はね…いえ何でもない…皆さん立派にシチリア王国を盛り立てて、長生きをされました…又いつかデルモンテ城へお邪魔した時は、お城の秘密など、こっそり教えて下さい…

フェデ

ふむ…kazu殿、承知した。約束いたそうぞ!