「偉人の並木道」
(Viale degli Uomini Illustri)
2025.12.21撮影
この市民庭園&公共の遊歩道の造成にあたって、財政の確保は言うに及ばず、苦労したのは、土地の買収と指揮系統の一貫性でした。先の市政長官の言葉にはカターニア市民としての矜持と庭園づくりへの心意気が感じられますが、実際には、担当者同士の対立や計画の頓挫など、そう簡単にことは進まなかったのです。
時は流れて…1863年…。
妄想ストーリー③
カターニア市議会「市民庭園構想プロジェクト」
★企画担当責任者
私が指揮を執る。これまで各部署で揉めてきたが、これからは一本化する。
★行政担当者1.
ハイッ土地の買収が必須。でも、相手は、ドミニコの修道士なんだよなぁ…
★行政担当者2.
だよな。こっちはカプチン会だよ。
★技術担当
では土地を統合する為に尽力しよう。何かアイデアは?
★文化担当
そうだ!「偉人の並木道」を造ってはどうか。偉人の胸像をずらーと並べるんだ。
…とかなんとか。

サルヴァトーレ・トマセッリ通りの「偉人」たち
2025.12.21撮影
こうして、各部署の奮闘の末、元貴族の迷宮庭園と新たに取得した土地を統合した市民公園は、ついに開園の日を迎えます。カターニアが輩出した、貴族の出ではない、市民の出自を持つ音楽家「ベッリーニに捧ぐ庭園」というコンセプトも決まっています。

南側の丘に建てられたベッリーニの胸像
2025.12.21撮影
構想から約30年経った1883年1月6日、沢山の家族連れが訪れ、にぎわいを見せたことは想像に難くありません。その後も、公園は少しずつ手を加えられながら、時代を重ねていきますが、やがて半世紀が経った頃には、エトネア通りの反対側――土地を買収し、拡張したトンネル周辺は再整備されることになります。

19世紀、市が土地を買収して整備した区域の一角
「偉人の並木道」へ続く散歩道
2025.12.21撮影
その時、その時代のアイデアだったのでしょう。やがて、鳥小屋が設けられたのみならず、クジャクやペリカンは闊歩するし、1960年頃にはサルやゾウまでが飼育される…その場所は、まるで小さな動物園のような空間へと発展していきます。
こうしてベッリーニ公園は、庭園というより、「市民のため」という名のもとに、もう何でもありの公園へと姿を変えていきました…しかし、こんな広がり方は、明確な管理と思想なしには、そう長くは続かないのです。
-続く-