イタリアより

滞在日記

カターニア・ベッリーニ公園案内⑤ベッリーニ庭園には象が居た…囲われた象「トニー」

1965年に寄贈された象の「トニー」
名前は男の子名だけれど
実は女の子だった…

Live UniCTより

1965年、当時ヨーロッパで流行していたサーカス団の一行がカターニアにもやって来ました。サーカスの興行宣伝として、象のパレードを許可してもらう条件で、一頭の象がカターニア市に寄贈されたのです。象は、サーカス団の名称からトニーと呼ばれていましたが、実はサーカスを引退する雌の象でした。年齢は80歳。有名なハンニバル軍のアルプス越えも再現した団の花形スターでした。

メネリクとトニーの紹介
左:メネリク 右:トニー

≪トニー≫10年前ハンニバルの進路をたどり
アルプスの山越えをした!

「Mascalucia DOC」より

当初の約束通り、広場から大通りを進むパレードの途中、トニーはパニックに陥って暴れ出してしまいます。周辺に停まっていた数台の車を鼻や体でなぎ倒し、破壊したと記録されているので、皮肉にも、それはそれはサーカス団の大きな「宣伝」となったことでしょう。

象「トニー」は、本日よりカターニアの市民になった
13時45分、ベッリーニ庭園前で公式の引き渡し
新しい飼育員と共に

「Mascalucia DOC」より

トニーは、鎮静剤で眠らされ、ベッリーニ庭園へと運搬されましたが、さすがに大きな図体では、檻の中には入れられはせず、資料によると、森のある広いエリアの囲いの中で係の人から大切に飼育されたようでした。

しかし、トニーは庭園から脱走を試みます。当時を知る人によると、「トマセッリ通りをトニーが歩いていた、しばらくアスファルトに足跡が残っていた…:E una volta l' elefantessa provo' anche a scappare e percorse un pezzetto di strada, mi pare via Tomaselli, restarono per un po' di tempo le orme del suo passaggio sull'asfalto ,ve lo ricordate」…。

その為なのでしょう、脱走防止のため、囲いの周囲には溝が掘られ、上記の写真にも見られるように、足元には杭まで打たれることになってしまいます。

旧アルカラ広場(現ボルセッリーノ広場)
この辺りにサーカスのテントが立っていた

逃げ出したトニーが向かった先は、「アルカラ広場」に設営されたサーカス団のテント――現役の頃、ともに働いた二頭の象をはじめ、仲間たちのいる場所だったのかもしれません。

象はその巨体に似合わず、とても繊細で、群れで生きる動物です。囲われた狭い場所で、たった一頭で暮らす日々。訪れる人々には、懸命に芸を見せていたそうですが、日夜人の目にさらされ、日常的に子供たちからはパンや菓子が与えられていたというから、十分な食料と水があり、例え保護された場所であったとしても、トニーにとっては決して安住の住処(すみか)ではなかったのでしょう。ベッリーニ庭園に来て、わずか2年後、トニーは亡くなってしまいました。

亡くなったトニーを運び出す様子
郊外で火葬され、
その煙は町中に立ち上ったと伝えられている

「Mascalucia DOC」より

トニーの寄贈の背景には、サーカス側の「引退した動物の余生を町のシンボルとして過ごさせて欲しい」という意図と、市民の「町のマスコットである本物の象を間近で見たい」という熱い要望が合致したものでしたが、果たして、正しい選択だったのか。

かつてベッリーニ庭園に居たメネリクトニーは、人々から愛されはしたけれど、守られはしなかった……今だから、言えることかもしれないのだけれど…。

-続く-

余談

実はトニーの前に、ローマ市から「レモ」という象が贈られる計画がありました。しかしレモはシチリアへ向かう途上で死んでしまい、ベッリーニ庭園 には、用意された囲いだけが残りました。その場所に入ることになったのがトニーでした。

つまりカターニア市は偶然トニーを受け入れたのではなく、トニー以前から象を迎える計画――いわば「象プロジェクト」なるものが存在していたのでしょう。

カターニアに到着することがなかったレモについての記録は詳しく残っていませんが、都市の象徴として庭園に象を迎えようとした結果、少なくとも3頭の象が命を落とすことになりました。

ベッリーニ庭園のどこかで、象のモチーフや装飾を見つけた時は、単なるカターニアのシンボルというだけでなく、この3頭の象たちにも思いを馳せてみて下さい。