イタリアより

滞在日記

パルマにて.その4


ドゥーモ通りに入るとすぐに見えてくる洗礼堂


洗礼堂の内部は、一面キリストや使徒の物語が描かれたフレスコ画で埋め尽くされています。パルマの大聖堂の、これこそが見どころと言っても言い過ぎではないほど、それはそれは見事な装飾でした。実は後の世では評価の高いコレッジョの天井画聖母被昇天が、下から見上げると、足ばかりがぶら下がっていて、肝心のマリア様が見えない、大聖堂に描かれたこの絵画と作者コレッジョに、教会はこんな不評を突きつけたのだそうですが、彼のこの手法こそが、見る者に、昇天する聖母とそれを天国に迎えるキリストの神々しさを際立たせるものになったのでした。


改めて大聖堂のコレッジョ作「聖母被昇天」


一方、洗礼堂は、この町の出身である彫刻家でもあり、建築家でもあったベネデット・アンテラーミが、先の聖堂内の石彫が高く評価され、建設を請け負うことになります。件の石彫の素材と同じく、ベローナのバラ色の大理石をもって、洗礼堂を建てましたが、1196年着工とお堂に彫られているから、アンテラーミは弱冠21才でこの大仕事を引き受けたことになります。それから約20年の時を経て、洗礼堂は完成しましたが、後にリニューアルされたこともあって、聖堂との造形の違いは歴然としています。時代の流れが、どこかのっぺらぼうで、暖かみのないロマネスク様式を脱して、次世代の建築様式を求めたのだと、そんな風に感じました。


北入り口扉の上に彫られた「東方三博士の礼拝」

上部には12使徒が配されています

花を持つ妃とその腕に抱かれた子供への祝福が象徴として表されている


そうそう、聖堂や洗礼堂の建物の入り口上部に、半円形か三角形のかたちで、宗教上のレリーフが設けられていますが、これを専門用語でティンパヌムと言います。パルマの洗礼堂も、東方博士の礼拝に題材を得たティンパヌムが設けられていました。当時、文字の読めない人は、こうした壁画の装飾から、キリスト教への理解を得て信仰を深めたわけですが、今回このティンパヌムのレリーフに波形の装飾を見つけて、おー成る程と、小さな感動を覚えました。この波形は、ここが洗礼堂であり、清き水に身を沈めて神からの祝福を戴く神聖な場所だと言うことを人々に知らしめているのでしょう。アンテラーミの作品なのだそうですが、短足で頭でっかちながら、威厳あるその人の佇まいは、人々に畏敬の念を抱かせるのに十分なレリーフだったことだと思います。



洗礼堂の内部は、16角形で囲われていて、天井から降り注がんばかりの壮麗なフレスコ画は圧巻でした。傘の骨組みのような柱は勿論大理石。地上めがけて突き刺さるような造形にも圧倒されます。ここにもアンテラーミの石彫が並んでいて更に目を見張ることになりました。そこには四季折々の寓意像が彫られていて、それは畑を耕す農民の姿、収穫を得る季節やあるいは種まきの様子など、ひとつひとつを眺めていると、ここが洗礼堂であることを忘れそうです。春夏秋冬のこれらの様子には、人々の暮らしが平安であることを祈り、収穫する様々な農作物への感謝の思いが見て取れます。そればかりか、私には窺い知れないけれど、これらアンテラーミの精神世界には、もっともっと深い意味や暗示、更には彼の矜持までもが込められているのだろうと思います。


エジプトへの逃避行


話が錯綜しますが、上記のティンパヌムは、とても分かりやすくて、じっと眺めていました。聖母マリアが幼いキリストを抱えてエジプトへ逃げる様子ですが、これは言うまでもなく、新約聖書に出で来る幼児虐殺に続く聖家族の逃避行です。

ユダヤの王ヘロデは、東方の賢者からベツレヘムに新しい王が誕生したことを知らされます。ヘロデは、自分の地位が脅かされることを恐れて、この村に居る2才以下の幼児を虐殺するのです。有名な画家、ブリューゲルやティントレットやルーベンスたちがが描いたこの残酷な物語は、この洗礼堂にもこんな形でティンパヌムにありました。星空の夜道を逃避行する聖母達と彼らを誘う天使の彫刻はとても美しくて、ストーリーが分かるだけに、この洗礼堂の中でもひときわ目を惹きつけられたのでした。
-続く-