イタリアより

滞在日記

オートラント大聖堂その3 .

木製の

キラキラの天井

八角形や十字形の文様は

純金メッキが施されている

2022.12.23撮影

床のモザイク画とこの天井の模様の

アンバランスさに

上を向いたり下を見たり

頭が上下に振れました

2022.12.23撮影

そもそもこの聖堂は、古代ローマ時代、ドムスと言われるやんごとなき人の住居の跡地、あるいは初期キリスト教の教会か寺院の遺跡に建てられたものらしく、ウキペディアと公式サイトによると、ルッジェーロ治世の元、1068 年ノルマン人の司教が設立したのだとか。

その建築様式は、ビザンチンや初期キリスト教はじめ、ロマネスクの要素を含む統合型。11 世紀にノルマン人が到来するまで、この地は数世紀にわたってビザンチン人に支配されていたというから、こうした、いわゆる「文化の融合」もうなずけます。

かろうじて通路側の壁に残っているビザチン時代の「聖母子像」のフレスコ画

2022.12.23撮影

その後、数百年の間に改築が繰り返されて今に至るのでしょうけれど、恐らく、むき出しになっている両サイドの12本のアーチの壁には、旧くはキリストにまつわるようなフレスコ画もあったのだろなと、そんな想像を巡らせました。

又、この大聖堂は、むごたらしい虐殺の現場でもあって、800人にも及ぶ殉教者を出したのだとか。1480年、オートラントに攻め入って来たオスマントルコ軍は、よりにもよってこの聖堂に避難していた女性や子供たち、そして聖職者らを皆殺しにしたというのです。まさしく神をも恐れぬ所業…

イタリア半島最東端に位置するオートラントは、エルサレムに向かう巡礼者が立ち寄る聖地でありながら、こうして大いなる戦禍を招く地でもあったことに改めて気付くことになりました。

長椅子が並んでいなければこんな風に…

公式サイトより

さてモザイク画の続きですが、この混とんとした摩訶不思議な絵柄にも、実は製作者パンタレオーネの深い思いがありました…モザイク画を幼稚だなんて…すっかり恥じ入ってしまいました。

-続く-